教員たちの集団主義的な文化の負の側面や、学校における生徒集団の同調主義を変えようと思っても、文化的な変容を求めるわけだから難しい。
ところが、個性の尊重とか言うと、こういう同調主義を残したまま、『本当の自分こそが一番大事』といった自己の肥大化のようなことが起こる。
市場化による規制緩和にしても、壊しやすい機構の部分しか変えられない。
文化として染みついている部分まで壊そうと思うと大変なのですよね。
下手すると、機構は壊れてしまって、何の変わりもないまま、相互監視するような共同体だけが残るということもあり得るわけですよ。
教育改革は、日本の構造改革の一環だという意見があるけれど、実際にそれによって何が壊され、何が生き延びているのかを十分に見極めた議論にはなっていないような気がします。
でも、これも悲観論ですかね」やっぱり、そういう受け止め方が反発のような形になって出ている面があると思うのですよね。
KTさんは答えをわざと言わないじゃないですか。
だからそこのところに対してイライラするような人たちがいるわけですよね。
「だって、率直に言って私は答えを持ってないですよ」でも、答えはほしいし。
その答えというのも、よく知っているような図式に乗っかるようなわかりやすいものがありかたいということで。
「そういう権威もなければ、実践に根ざして教師たちにお墨付きを与えるような経験や知識を持っているわけでもない。
それなのにそこまで踏み込んだら反則ですよ。
専門性を逸脱する。
だから言わない。
ただ、評価の仕方についてのノウハウはあるから、提供します。
だけどそれの価値判断はできません。
プロセスについては自分たちでやってくださいとしか言えないですよね、私はその分野の専門家じゃないわけだから。
ただ本当に、今は閉塞感と絶望論が強まって、M科省バジンクが起きているから、これで危ないですよ。
結局これで誰が得するのか、といったら、行き当たりばったりの構造改革論者かもしれない。
とくに教育については素人談義でもいろいろ言えるから。
綱渡りみたいな感じかしていますよ」人びとの意識はなかなか変わりませんね。
「むずかしい。
変わらないと、公的なルールづくりのための議論もできないのですけれどね。
私としては、『大衆教育社会のゆくえ』で、人びとの教育認識がどうつくられていくのか、現実の教育問題への人びとの見方にどうやって影響を及ぼすのか、さらには、どういう問題を隠蔽するようになるのかを、差別選別教育や学歴社会の認識を例に分析をしました。
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